僕と競馬
僕と競馬
小学生の時、特にこれというきっかけもなく競馬ゲームに熱中し始め、親父のスポーツ新聞をこっそり覗いては見よう見まねで予想に興じ、タイキシャトルのマイルCSを11歳で本線的中。
そしていよいよ本物のサラブレッドが見てみたくなった加納少年は、おかんに頼んで競馬場ではなく遠路はるばる栗東のトレセンまで連れて行ってもらった。
しかし、昼前に着くとなぜかそこにお馬さんは一頭もおらず、見れるのはちょっとした展示コーナーだけ。
調教が早朝に行われているなんてことはネットなき時代に知る術もなく、椅子に座ってがっくりうなだれていると、そこに本当にたまたま奇跡的なタイミングで、孫娘を連れて散歩をしていた調教師のおっちゃんが。
事情を説明したところ、なんと厩舎に招いていただき、鼻をなでニンジンをやり、本来禁止という馬との写真撮影までさせてくれた。
そんな劇的な展開に競馬熱が沸騰しないはずはなく、中学生で乗馬クラブに入会。
高校の入試面接では「小学生の頃から競馬をやっていて、将来の夢は調教師です!」と堂々たる宣言をぶっ放し(ちなみにまさかの特待合格 笑)、阪神競馬場に程近い大学時代はサークル彼女バイトたまに授業という多忙な中でも土日は朝から絶対に競馬。
過去10年間のデータ+調教タイムの分析に加え、馬場状態に合う蹄の形状やコース地下の排水溝の構造など、とにかく真剣に競馬を研究しまくった。
その後将来の夢は調教師からサッカージャーナリストへと変わったけれど、入社したのは幸運にもスポーツ新聞社、タダで全紙読めるやん、てか仕事で競馬できるやん!
4年半後に退社し福島の山奥に旅立つまで、僕と競馬の楽しい日々は続きましたとさ…
<01年ダービー馬ジャングルポケット死す>
ニュースタイトルを見た瞬間にふと蘇る感情があったので、競馬について書いた。
ジャングルポケット号を管理していた渡辺栄さんこそ、あの時の「調教師のおっちゃん」まさにその人。
あれからもう20年以上経つけど、ありがとうおっちゃん、あなたのおかげで俺はたくさんの夢を買って、数え切れないロマンを見たよ。
さらばジャンポケ、安らかに。