忘れるわけないじゃん
忘れるわけないじゃん
2011年3月11日。
出張という名の宴会旅行を終え神戸に帰ろうと二日酔いのまま向かった米子駅で、待合所のテレビに妙な光景が映し出されていた。
<気仙沼>という聞いたことがある地名と、真っ赤に燃える町?津波?
東北でデカい地震があったらしい。
マジかー、電車遅れてるやん、もう一泊して呑んで帰るかぁ…
それから2年と4ヶ月後、俺はその気仙沼市のちょい北にある岩手県気仙郡にいた。
KESEN ROCK FESTIVAL 2013.
こんど地元のフェスで店出すから手伝ってくれるんならタダで観れるよー、そんな誘いにほいほい乗って仮設商店街のメシ屋のヤツらと肉を焼いてビールを売っていた。
震災翌年に会社を辞め、総務省の地域おこし事業のアレで福島の山奥に引っ越した俺は、廃校の職員室をカフェバーに魔改造して人集めをもくろみながら、せっかくの東北暮らしやしとヒマさえあれば被災各地に車を走らせ、中でも陸前高田未来商店街のBricks.808(通称やおや)という店がなんか気に入っちゃったので、片道5時間かけて毎月のように遊びに行っていた。
復興支援とかボランティアとかそんなえぇもんではなく、ホンマにただ酒を呑みに行っていた。
あれ、誕生日の話なんかしたっけ?よう覚えとったな。
やたらと祝ってくれた店のねーちゃんにそう言ったら変な顔で「忘れるわけないじゃん」って、何なんそれ?
それが何かは後から聞いた。
津波で亡くなったその子の兄貴が俺とまったく同じ生年月日やったらしい。
その話を教えてくれたヤツはおかん亡くして「ふらっと帰ってくんじゃねぇかなーなんて今でも思ってっけどね」とか言うし、マスターは家も店も流されて、でも仮設に住みながら仮設の店でフツーに迎えてくれるし。
俺は最後までそういう話は自分から聞かんかった。
聞きたくなかったわけでも避けてたわけでもまったくなく、俺といる時は楽しい話だけをしてほしかったから。
悲しいことを楽しいことで塗り潰して、津波も放射能もなんのこっちゃわからんくなればえぇのになぁと思っとったから。
今でもそう思っとる。
だからさ、また行くぜ東北!ただ呑みに行くぜ陸前高田!
その時は「よう覚えとったな」って言ってくれや。
そしたら俺が「忘れるわけないじゃん」って、とびっきり変な顔でな。